第7章 世界が忍者に熱狂した80年代
――メナヘム・ゴーランと『燃えよNINJA』が起こした第二次忍者ブーム
1960年代、日本国内ではテレビドラマを中心に忍者ブームが巻き起こりました。 しかし、忍者が“世界的な現象”へと進化するのは、 1970〜80年代の映画界においてでした。
この時代、忍者は日本の文化的キャラクターから、 世界中の人々が知る“NINJA”というアイコンへと変貌していきます。
その中心にいたのが、 映画プロデューサー メナヘム・ゴーラン でした。
■ ブルース・リーの成功が“次のアジアアクション”を求めさせた
1970年代、ブルース・リーの映画が世界的に大ヒットし、 アジアの武術映画が一大ジャンルとして確立されました。
しかし、ブルース・リー亡き後、 映画界は 「次のヒットとなるアジアの戦士像」 を探し始めます。
- カンフーはすでに飽和
- 空手映画も一定の人気で頭打ち
- 新しい“東洋の神秘”が求められていた
そんな中で浮上したのが── 忍者(NINJA) でした。
■ メナヘム・ゴーランが“忍者”という素材を発見する
イスラエル出身の映画プロデューサー、 メナヘム・ゴーラン は、 スタッフから「忍者を題材にした映画を作ってみてはどうか」と提案されます。
当時のアメリカでは忍者はまだマイナーな存在でしたが、 ゴーランはその神秘性とビジュアルに強い魅力を感じました。
- 黒装束
- 手裏剣
- 忍術
- 闇に紛れる戦士
- 日本の伝統文化の香り
これらは、アメリカの観客にとって非常に新鮮で、 “次のアジアアクション”としての可能性を秘めていました。
こうして、忍者映画の企画が本格的に動き出します。
■ 『燃えよNINJA(Enter the Ninja)』の誕生
1981年、ついに 『燃えよNINJA(Enter the Ninja)』 が公開されます。
この作品は、
- 黒装束の忍者
- 手裏剣や忍術のアクション
- 神秘的な日本文化の演出
- 白人主人公が忍者になるという設定
など、エンタメとしての“忍者像”を全面に押し出した作品でした。
結果は大成功。 アメリカの観客はこの新しいヒーローに熱狂し、 忍者は一躍“世界的キャラクター”となります。
■ 忍者映画の大量生産時代へ
『燃えよNINJA』のヒットを受け、 アメリカだけでなく、香港・台湾でも忍者映画が大量に制作されるようになります。
- 『ニンジャIII/魔界転生』
- 『忍者コマンドー』
- 『五遁忍術』
- 『忍者大戦』
- 『桜ニンジャ』
など、数え切れないほどの忍者映画が作られ、 80年代はまさに “世界忍者映画時代” と呼べる状況になりました。
この時期に作られた忍者像は、 日本の伝統文化とは異なる“エンタメ忍者”でしたが、 その影響力は絶大で、 世界中の人々が“黒装束のNINJA”を知るきっかけとなりました。
■ 世界が受け入れた“エンタメ忍者”の魅力
なぜ忍者は世界でこれほど受け入れられたのでしょうか?
理由は明確です。
- 黒装束のシルエットが視覚的に強い
- 手裏剣や忍術がわかりやすく派手
- “影の戦士”という神秘性
- 日本文化のエキゾチックさ
- アクション映画との相性の良さ
忍者は、アメリカの観客が求める 「ミステリアスで強い東洋の戦士」 というイメージに完璧に合致していたのです。
こうして忍者は、 日本の文化的キャラクターから、 世界のポップアイコンへと進化していきました。
■ 世界的忍者ブームが残したもの
70〜80年代の世界的忍者ブームは、 後のアニメ・ゲーム・映画に多大な影響を与えました。
- 『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』
- 『NARUTO』
- 『メタルギアソリッド』
- ハリウッド映画の忍者キャラ
など、現代の忍者コンテンツの多くは、 この時代の“エンタメ忍者”をルーツにしています。
つまり、 70〜80年代の忍者ブームは、忍者を世界的キャラクターへと押し上げた決定的な出来事 だったのです。